それなりにすばらしい日々

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それなりにすばらしい日々

難病CIDPになってからのあれこれ

IVIG開始&生検(2014年9月)

入院してちょうど1週間後、具体的な治療が始まりました。

 

IVIG(免疫グロブリン大量療法。Intravenous immunoglobulinの略)といって、献血で集めたヒトの血漿から精製した免疫グロブリンという血液製剤を大量に点滴する治療法です。CIDPの場合、たいていはこの治療で効果が出るそうです。

 

わたしの場合はグロブリン1日に9本×5日間。

9本点滴するのにだいたい5時間くらいかかります。同時に生理食塩水の点滴もするんですけど、こっちはお風呂以外は5日間寝てる間もつけっぱなし。水分をずっと入れられてるわけなので、とにかくトイレが近くなって困りました。

 

このグロブリンってのがものすごく高価らしく、小さいビンが1本で何万円もするんですよ。なにしろ、グロブリン1本作るだけで1000人以上の献血が必要だとか。そりゃ貴重ですよねー。

健康なころから貧血気味だったからしたことなかったけど、献血って大事ですねぇ。うちは夫が献血好きなのでたまにやってもらうようにしてます。

 

 

 

同じ日の午後、生検も。

左くるぶしのあたりの神経を2cmくらい切り取る処置です。切り取った神経は専門機関に送られて病気の診断に使われるとか。

 

いや、びっくりしました。

手術室とか処置室に行くんだろうと思ったら、わたしの個室でやるんですって。

なんかいっぱい先生が入ってきて、ベッドの向きを変えたり、ライトを運び込んだり。正直、こんな手間かけるなら処置室に患者を運んだほうがいいんじゃないの?と思って見てました。

 

いつも寝てるベッドに防水シート敷いて処置開始。

局所麻酔が効いてるから痛くはないけど、切られてるのとかなんか引っ張られてるのとか、感覚はぜんぶわかるからちょっと怖かったです。

 

で、じっと耐えてると先生がいきなり

「今から神経を切り取るけど、このときだけは麻酔が効かないんで、かなり痛いよ」

って。

 

もうね、ええええぇぇぇーーーー!!!ですよ。


そりゃ痛いでしょうよ。だって麻酔なしで神経切るんですもんね!!

どうしたらいいんですか!?って聞いたら、「がんばって☆」って言われました。

 

がんばれって……。

 

まあ、もう足は切られてるわけだしどうしようもない。

先生の言い方からしてショック死するほど痛いわけではなかろうと思ったら、まあそのとおり、めっちゃ痛いけど耐えられないほどではなかったです。

処置前に打たれた筋肉注射の麻酔の方が痛かったかも。

 

終了後は痛み止めを飲んで安静に。

いつでも痛み止め渡すから言ってねって看護師さんに言われましたが、結局その日の夜中にかるーく痛みが出た程度でした。翌日は全く無痛。

かなり痛むよって聞いてたので不思議でした。CIDPのせいで感覚がおかしくなってるからそのせいだったのかも。

 

処置後1週間くらいは左足には力入れない、体重かけない、床につけないように言われてたんですけど、それが大変でした。

普通だったら片足で立てるし、なんならケンケンもできるから楽勝なんだけど、当時のわたしは両足でもちゃんと立てないし歩けないので、車イスの乗り降りとか、病衣のズボンをはきかえるときとか、とにかく何をするにも不自由でした。


その時の傷は2年以上たった今もうっすら残ってます。気になるほどではないですけどね。

入院中のよもやま話

ちょっと本題からそれて、入院中のよもやま話を。

慣れない入院で困ったことがいくつかありました。

 

まずはお風呂。

ひとり30分しか時間がなくて、その30分の間に「服を脱ぐ→入浴→服を着る→ドライヤー」をすませなきゃいけないんです。

湯船にはつからず、シャワーだけにしてても時間足りないよ!

しかも当時は歩けなかったので、脱衣所まで車イスで運んでもらって、手すりや壁をつたって何とか服を脱ぎ着したり入浴したり。お風呂場に入ってイスに座るだけでも普通の人の倍以上の時間がかかります。髪も長かったのでもう最悪でした。

 

看護師さんは入浴介助するって言ってくれたけど……やっぱりはずかしいしねー。

ほんとにどうしようもなければもちろんお願いしただろうけど、がんばれば自力でなんとかできるので辞退しました。じゃあ慣れるまで1時間使っていいよって提案してくれたので、しばらくはお言葉に甘えてました。

 

 

ちなみに一番いやだったのは洗面所です。

汚したままにするひとが多い!!!

 

水が飛び散ってる程度なら全然いいんです。うがいの時に洗面台からそれてまき散らされた水やら何やらとか(そもそもなんでそんなにそれるのか)、そったヒゲとか、もうね……。

なんでそのままにしとくのか。ペーパータオル設置してくれてるんだから拭いて帰ろうよ。

 

4か月半の入院中に自分以外の入院患者はほぼ全員何度か入れ替わりましたが、洗面台を汚したままにする犯人の8割は年配男性でした。女性と若めの男性はおおむねちゃんとしてたなぁ。

 

いろいろとおぼつかないくらいのお年寄りなら仕方ないと思うんですけど、まだ50代、60代くらいのしっかりしたひとがそんなだと本当にいやです。家でもあんななのか、自分の家じゃないから汚すのか。

 洗面台をささっと拭いて帰る上に、あいさつまでしてくれる男性がたまに現れると必要以上にすてきに見えたもんです。

 

あとはまあ、イヤホン必須のはずのテレビを音声たれながしで見る人とか、病室では通話禁止のはずの携帯で大声で話す人とか、いろんな人がいました。

わたしは個室だったので直接の被害はほとんどなかったんですけど、大部屋ではたまにもめたりしてたみたいです。いい人と同室になって友達になれたりすることもあるから、もちろん大部屋にもいい面もあるんですけどね。

 

 

もちろんいいことや楽しいこともあります。

 

病院食はとにかくまずいイメージだけど、わたしのいた病院のごはんはごく普通においしくていつも楽しみでした。

看護師さんによると、病院内に調理場があってつくりたてを出してるからおいしいんじゃないかなーとのことでした。たいていの病院は外部の業者に委託してて、よそで作って運ばれてきた食事を温め直してるだけなんだそうです。

 

冬至とかクリスマスとか何かしらのイベントの日にはそれにちなんだメニューと、ちょっとした手紙が添えてあったりしてうれしかったです。

入院してると食事くらいしか楽しみがないですからね。

 

ちなみに、カロリーがちゃんと管理されてるから普通食でもやせました。自前のおやつも毎日食べてたのに。運動なしでも規則正しい生活とバランスのいい食事でやせられるみたいです。

 

まぁ、退院後にすっかり戻ったどころか丸くなってしまってますけど……いや、でもこれは薬の副作用でもあるから……(ToT)

 

 

ちなみに、ベッド周りにちょっとかわいいものを飾ると看護師さんたちに妙に喜ばれました。病院って殺風景だから、かわいいものとか季節感を感じるものを見ると癒されるんだそうです。意外でした。

わたしの場合は、季節ごとに妹があれこれ持ってきてくれたのでそれを飾ってました。たとえばクリスマスだったら10cmくらいのミニミニツリーとか。

飾るなら100均に売ってる程度の、壊れたりしてもかまわないちょっとしたものがいいです。貴重品は盗難もありうるし。

あ、たくさん飾りすぎて掃除の邪魔になるとたぶん嫌がられます。

入院中のあれこれ(2014年9月)

いよいよ始まった入院生活。

 

とにかく体調が悪すぎて入院初期は記憶があいまいです。日記も最初はつけてなかったので、この頃のことは家族に送ったLINEを見返して書いてます。

毎日のように採血があったり、CTとかMRIとかアイソトープとかのためにあちこちに運ばれたり、いろんな同意書にサインしたりしてたことをうっすら覚えてます。

 

CIDPになるまで病院という場所に無縁の人生だったので、入院生活は驚きの連続でした。

 

たとえば検査。

外来だと予約してあるから時間が決まってるけど、入院患者って検査室に空きが出たら「ハイ今来て!」って感じで呼ばれるんですね。だから、朝に看護師さんから「今日コレコレの検査がありますよ」って言われるだけで、何時にあるかは看護師さんすらわからない。


わたしは当時は車イスな上に単独行動禁止・病棟から出るのも禁止だったからずーっと自分の部屋にいたけど、自分で1階のコンビニとかに行ける患者だったらタイミングはかるの大変だっただろうなぁ。

 

 

あと、本当に、看護師さんは男性も女性もみんな白衣の天使だったこと。

看護師さんはその呼び方あんまりうれしくないって聞いたことあるから言わなかったけど、でも入院したら絶対みんなそう言いたくなりますよ。


どんなに忙しくても、いつでも笑顔でやさしい。わがまま・エラそう・セクハラな患者にも嫌な顔ひとつせずうまーくあしらうし。


もちろん内輪ではグチやら文句やら言ってるんだろうけど、そんなのどんな仕事してても言うしね。

 

あとこれは白衣の天使とは関係ないんだけど、わたしがいた病棟の看護師さんは妙にかわいい人ぞろいでした。わたしが独身男性だったら好きになっちゃうとこでしたよ。

 

 

主治医の先生3人も一日一度は必ず誰かが部屋に来てくれて、いつも問診と簡単な検査がありました。

3人のなかで一番若い先生が来ることが多いんだけど、この先生が顔も声もかっこいいのにしゃべりかたがゆる~くて、入院生活の数少ない癒しだったなぁ。

 

 

先生といえば教授回診。

ドラマでよく見るやつ、ほんとにありましたよ。

週に一度、教授が神経内科の先生全員を引き連れてやってきて、「どうですか?」って。リアル白い巨塔でした。

まぁ、教授は穏やかな紳士だったし、患者もドラマみたいにベッドに正座してかしこまってる必要はないし、部屋に入りきらない先生たちは廊下でだらだらしてるし(笑)、ちょっと緊張するだけでドラマほど仰々しくはないです。


あ、面会に来てる人は家族だろうが何だろうが回診の間は病棟の外に出てなきゃいけなくて、そこだけ厳格でしたね。

 

ただ、普段診てもらってない教授にどうですかと聞かれてもどこまで詳しく答えるべきなのやら。ひとりの患者に割く時間はそんなにないんだろうし。だからわたしは「変わりないです」とか「楽になりました」みたいな当たりさわりないことしか言えず、ただ面倒でした。

年配の患者さんの中には「教授にも診ていただけて……」って喜んでる人もいたので、まああれにも意味があるんでしょうね。

人生初の入院(2014年9月)

いよいよ入院日。

 

母と夫に付き添ってもらって大学病院へ。

入院受付窓口であれこれ手続きを済ませ、病棟へ行くと看護師さんが個室へ案内してくれました。(大部屋が満室だったので当面は個室です)

病衣に着替え、いよいよ主治医と対面。

 

全然知らなかったんですけど、外来で診てくれる先生と入院中の主治医って別のひとなんですね。

あと、主治医ってひとりじゃないんですね。チーム制医療とかいうらしく、入院中のわたしの主治医は3人でした。

 

先生たちに挨拶したらすぐ検査。

血液検査、尿検査、心電図、CT、あと確かMRIもあったかな。

あと、神経伝導速度検査。

これ初めて受けたんですけど、痛かった。

本当に!!!痛かった。

この検査については別記事で書きますね。

 

検査の終わりごろに先生が「うとうとさん、病気わかったよ。良くなるよ!」って声かけてくれたんですけど、あまりに検査が苦痛すぎて、うれしいとか感じる余裕はなかったです。何でもいいからもう終わってくれ!って思ってました。(ばちあたり)

 

検査を終えたら部屋に戻ってお昼ごはん。

病院食はまずいと思ってたら普通においしかったです。

 

食後、会議室のようなところで集合。

メンバーはわたし、夫、母と、主治医の先生たちと、担当の看護師さん。

ここで初めてわたしの病気がCIDPであると言われました。

 

これまで半年以上わからなかったものが入院初日にわかるなんて、ここの先生たちは神様か?って感激したのをおぼえてます。

 

聞いたこともない難病で、しかも完治はしないっていうのは確かにショックでした。

でも、病名がわかっただけでもありがたいのに治療方針まで決まってるなんて夢みたい!という気持ちの方がずーーっと強かったですね。

 

それまでたくさんの病院をさまよった時期がつらすぎたんですよねぇ……。

 

完治はしないけど良くなると言ってもらえたこと、命にかかわる病気ではなかったことも大きかったです。何か治療してもらえるならまあいいか、とにかくお任せするしかないしって感じ。

 

すぐ点滴での治療を始めます。入院予定は2週間です、と言われました。

実際にはいろいろあって4か月半も入院することになるんですけど、それについてはおいおい書いていきますね。

 

夫と母が帰って個室にひとりになると、さすがにすこし寂しかったです。

あと、トイレにすら自力では行けないのが心苦しかったです。

看護師さんってすごく忙しそうなので、トイレごときでナースコール押すのが申し訳なく思えたんですよね。だから、自分で車いすこいで行けるし~♪と思って自力でトイレに行ったらやんわり怒られました。

 

まあ確かに、わたしがトイレで転倒でもしたら看護師さんの責任になっちゃうんですよね。理屈はわかるので以後はナースコール押して連れてってもらいましたが、それでも心苦しかったです。

運命の日。そして入院まで(2014年7月~9月)

【7. 運命の日】

2014年7月下旬、もう行く病院も診療科も思いつかず、途方に暮れて近所の小さい個人病院へ。

風邪のときに何度か行ったことがある病院ですが、失礼ながらその先生を頼って行ったわけではなく、もう近所にしか行く気力がなかったので、まあここでいいや、と思って。

 

でも、その先生がわたしにとっての救いの神でした。

 

わたしの話を聞くだけじゃなく、「他には?」「~~って症状はない?」という感じで、とにかく時間をかけて熱心に症状の聞き取りをしてくれました。

それまで、ややテキトー(笑)な先生って印象だったんですけど、明らかに風邪ってわかってるから気軽な対応だったんだ……と驚くほど、この時は頼りがいがありました。

 

そして「~(病名)かもしれない」と大きな病院への紹介状をもらいました。

半年以上あちこちの病院をさまよって、初めて具体的な病名が!

まだ単なる推測でも、何か道が見えた気がして本当にありがたかったです。

(ちなみに先生の挙げた病名はCIDPではなかったけど、同じ自己免疫系の、症状としてはかなり近い病名でした)

 

 

つくづく思うけど、病院選びは難しいです。

大病院だろうが個人病院だろうが、大切なのはそこに親身になってくれるいい先生がいるかどうかなんですよね。でも、いい先生にあたるかどうかは運しだいってところがなんとも……。

あとこれは単なる個人的意見ですが、年配の先生ほど「若い人はあまり大病にかからないから大丈夫」という考え方をするひとが多いです。ある程度若い先生のほうが勉強熱心なのか、あれこれ疑ってくれる気がします。

 

 

【8. やっと入院へ】

救いの神に紹介してもらった病院へ。

この時点で、入口をくぐったとたんに看護師さんが車いすを持ってきてくれたくらいひどい状態でした。若い女性の先生に診察していただいて、採血と採尿とMRIと腰椎穿刺*を受け、結果は後日。

 

(*腰椎穿刺:背中の、腰のあたりに針を刺して髄液を取る検査。麻酔してもちょっと痛い。針を刺すポイントを見極めるのが難しいらしく、場所がズレると痛みはともかく何とも説明しにくい気持ち悪い感覚があります。実際何度か刺し直しになることも多いです)

 

腰椎穿刺なんて聞いたこともなかったし、もちろん初めて受けました。でも、結果的にこの検査で異常な数値が出たおかげで病気がほぼ判明したんですよ。

これまでさまよった他の病院で、誰かがこの検査をやってみてくれてればもうちょっと早く病気がわかったかもしれないのになぁ……。

 

 

8月に入り、結果を聞くため再度受診。

MRIなどはやはり全て異常なし。腰椎穿刺だけ気になる結果が出たらしく、この日に再度受けることに。おそらく今後は入院することになるが、その前にPET(初期のガンを見つけられる検査)を受けるよう言われました。可能性は低いけどガンの疑いもあるからそれを確認したいとのことでした。

 

数日後、PET受診。

普通にガン検診として受けるとかなり高額な検査ですが、わたしの場合は保険適用してもらえたので3万円くらいだったかな?ある意味ラッキーでした。

ガンだったらどうしようって不安もまぁ、少しはありました。でも、仮にガンだとしても今の何もわからない状態よりはいいって心境だったのでそれほど恐怖心はなかったです。

 

さらに数日後。

PETの結果は陰性でした。よかった。

実は先生は大学病院から週に何度か来ていたひとだったらしく、今後は先生の所属元の大学病院に移って入院することになりました。

 

数日後、大学病院へ。

一日がかりで血液検査や腰椎穿刺などいろんな検査を受けました。混んでるから入院まで1カ月程度かかるって言われましたが、個室でもいいからとにかく早く入院させてくださいとお願いして帰宅。

 

で、約2週間後の2014年9月中旬、個室が空いてやっと入院。最初に体調がおかしくなってから9か月経過してました。

本当に、本当〜〜に!長かったです。

病院をさまよう日々 その2(2014年7月)

いま思い返しても、この頃はわたしの人生最悪の時期でした。

体調はどんどん悪くなって、仕事どころかまともに歩くことすらできない。ただ座っていても息切れするくらい疲れる。

なのにどの病院に行っても「異常なし」

 

もうこのまま死ぬんじゃないかと思いました。

実家の両親も同じだったみたいで、当時は週に何度か母が掃除や料理をしに来てくれてたんですが、毎回、「次に会うときはこの子が死ぬときかもしれない」と思ってたと後に聞きました。

 

 

【6. 心因性と断定される】

7月に入り、ある小さな病院の神経内科へ。

週に1日だけ、大きい病院の偉い先生が来て診てくれるから行ってみたら?と知人にすすめられて。

 

ただ、この先生は今まで診ていただいた先生たちの中でいちばんダメでした。

まともに歩けず壁を伝ってやっと診察室に入ってきたわたしをロクに見ず、診察もほとんどせず。で、放り投げるように言ったことが、

 

「9割心因性だから心療内科に行った方がいい。すごい難病の可能性も2%ほどあるけど、これまでMRIで何も出なかった以上、今の症状程度では検査しても見つけられない。半年か1年経過を見てからでないとどうしようもない」

 

今の症状”程度”って!!

今でもまともに歩けないのに半年も様子みてたら完全に歩けなくなるわ!と思ったけど言いませんでした。きっとその先生から見れば「たいしたことない」症状なんでしょう。

 

心因性と断定されたことについても全く信用できませんでした。

というのも、なぜだかわたしメンタルがかなり強いみたいで、かれこれ半年以上体調不良に悩んではいても気持ちだけは元気だったんです。2か月後の海外旅行の予約をしてあったほどに。(まあ行けませんでしたが)

 

でもまあ、あらゆる可能性を検証するのもいいかと思って後日心療内科にも行きました。そこの先生には「心因性とは到底思えないから、どこかでちゃんと診てもらった方がいいよ」と言われましたけどね。

 

 

……あの、これは大切なことなのでわかっていただきたいんですが。

 

心因性の不調に悩む方がいるのも知ってますし、それをどうこう思ってるわけでは決してありません。わたしはただ、心因性と断定する前にきっちり診察や検査をして、心因性以外の病気の疑いを消しておくべきではないですか?と思ったんです。

だって、体調不良を「ストレスですね」って片づけるだけなら誰でもできるじゃないですか。悩みや疲れがゼロのひとがいない以上、そう言われて100%否定できるひともいないだろうし。

 

現に、結果的にはその先生の言う「2%」の難病だったんだし。

 

 

次回につづく

病院をさまよう日々 その1(2014年1月~6月)

【3. 年が明けても状況は悪くなるばかり】

長く立っていられないので早起きして各駅電車で座って通勤し、駅から会社まで歩いていたのも電車に変えました。足元が不安定なのでエスカレーターを歩くこともできなくなり、手すりにしっかりつかまって立ち止まっているようになりました。(そもそもエスカレーターを歩くのはマナー違反だけど、関西ではみんな歩くので肩身が狭かったです)

 

仕事面では、指がうまく動かないせいで入力速度が大幅に落ちたのがショックでした。ただ、もともとかなり速いほうだったおかげで、多少速度が落ちても人にはわからない程度で実質的には迷惑かけずにすみました。

電話は、自分を「やや滑舌の悪いひと」と思うことにして、ゆっくりはっきり話すようにして何とかやってました。

 

同じ部署のひとたちがみんな優しくて、通院や体調不良で休むことに理解があったのが本当にありがたかったです。

もともとかなり暇な会社だったのも幸いでした(笑)

 

 

【4. 通院を再開】

様子を見ていても悪化する一方でらちがあかないので。

 

1月中旬、メニエールかも?と耳鼻科へ。

2月上旬、知人のすすめで名医と評判の別の耳鼻科へ。

2月下旬、早すぎる更年期障害だと似たような症状が出ると聞いて婦人科へ。

3月上旬、最初の頃に行ったC病院(脳神経外科)再度受診。その後の経過を説明して再度あれこれ検査をしていただく。やはり脳の分野には異常がないので、なぜか手の震えに特化して整形外科に回されることに。もう何でもいいから調べてくれという感じでした。CTなどで手の神経の動きを診てもらう。後日、首のMRIも撮影。

 

……結果はすべて、またしても異常なし。

 

他にも、鍼灸院や睡眠外来なんかにも行きました。ちょっとでも思い当たる手がかりがあれば試してみようと思って。

かなり医療費がかかったけど、当時はとにかく何かわかれば!の一心でした。

 

4月、なぜだかふっと症状が軽くなり、疲れやすさも減りました。

調子に乗って国内旅行へ。

楽しかったけど疲れてくるとやはりふらつきが。暖かくなってこの謎の不調も治るのかもと期待しましたが一時的なものでした。

 

この頃には当初の症状に加えて、

右手が震えてうまく字が書けない(やっと字が書けるようになったこどもみたいな字になる)、 じっとしていても10分以上立っているとふらつく、ふらつきだすとものが二重に見え立っていられない、

などが加わってました。

 

【5. 急激に悪化】

春ごろは回復傾向だったのに、6月に入ると急激に悪化。

前年末に初めて症状が出た頃より悪くて、まっすぐ歩けない、段差で転ぶ、呂律がさらに回らない、両手足のしびれ、唇と舌が常に冷たい感覚、など。

通勤と仕事をこなすのに精いっぱいで、夕食は作れない日が多くなってきました。

 

次回につづく