病院をさまよう日々 その1(2014年1月~6月)
【3. 年が明けても状況は悪くなるばかり】
長く立っていられないので早起きして各駅電車で座って通勤し、駅から会社まで歩いていたのも電車に変えました。足元が不安定なのでエスカレーターを歩くこともできなくなり、手すりにしっかりつかまって立ち止まっているようになりました。(そもそもエスカレーターを歩くのはマナー違反だけど、関西ではみんな歩くので肩身が狭かったです)
仕事面では、指がうまく動かないせいで入力速度が大幅に落ちたのがショックでした。ただ、もともとかなり速いほうだったおかげで、多少速度が落ちても人にはわからない程度で実質的には迷惑かけずにすみました。
電話は、自分を「やや滑舌の悪いひと」と思うことにして、ゆっくりはっきり話すようにして何とかやってました。
同じ部署のひとたちがみんな優しくて、通院や体調不良で休むことに理解があったのが本当にありがたかったです。
もともとかなり暇な会社だったのも幸いでした(笑)
【4. 通院を再開】
様子を見ていても悪化する一方でらちがあかないので。
1月中旬、メニエールかも?と耳鼻科へ。
2月上旬、知人のすすめで名医と評判の別の耳鼻科へ。
2月下旬、早すぎる更年期障害だと似たような症状が出ると聞いて婦人科へ。
3月上旬、最初の頃に行ったC病院(脳神経外科)再度受診。その後の経過を説明して再度あれこれ検査をしていただく。やはり脳の分野には異常がないので、なぜか手の震えに特化して整形外科に回されることに。もう何でもいいから調べてくれという感じでした。CTなどで手の神経の動きを診てもらう。後日、首のMRIも撮影。
……結果はすべて、またしても異常なし。
他にも、鍼灸院や睡眠外来なんかにも行きました。ちょっとでも思い当たる手がかりがあれば試してみようと思って。
かなり医療費がかかったけど、当時はとにかく何かわかれば!の一心でした。
4月、なぜだかふっと症状が軽くなり、疲れやすさも減りました。
調子に乗って国内旅行へ。
楽しかったけど疲れてくるとやはりふらつきが。暖かくなってこの謎の不調も治るのかもと期待しましたが一時的なものでした。
この頃には当初の症状に加えて、
右手が震えてうまく字が書けない(やっと字が書けるようになったこどもみたいな字になる)、 じっとしていても10分以上立っているとふらつく、ふらつきだすとものが二重に見え立っていられない、
などが加わってました。
【5. 急激に悪化】
春ごろは回復傾向だったのに、6月に入ると急激に悪化。
前年末に初めて症状が出た頃より悪くて、まっすぐ歩けない、段差で転ぶ、呂律がさらに回らない、両手足のしびれ、唇と舌が常に冷たい感覚、など。
通勤と仕事をこなすのに精いっぱいで、夕食は作れない日が多くなってきました。
次回につづく
あれ?なんか体調がおかしい(2013年12月)
発病からあちこちの病院を渡り歩いて入退院、そして現在に至る経緯について。
かなり長くなりそうです。
【1. 最初の異変】
当時はフルタイムの派遣社員で、入力メインの仕事をしてました。
それまで大きな病気や怪我をしたことがなく、病院に行くのは風邪と歯痛くらい。血圧など各種数値も全く問題なし。
自分はものすごく健康だと思ってました。
2013年12月の下旬のある日、今日はなんか入力ミスが多いなぁと思ったのがそもそものきっかけ。指がもつれて隣のキーも一緒に打っちゃう感じ。あと、ほんの微かに呂律が回りにくい感覚も。ただ、会社でも夫にも「普段どおりだと思うけどなぁ」と言われました。
2日後、A病院の脳神経外科へ。
脳の分野ではかなり有名な病院なのでとりあえずそこにしました。脳梗塞かもしれない……とさすがにびくびくでしたが、血液検査と脳のMRIの結果異常なし。
ともかく脳梗塞じゃなかったことで安心して帰宅。
(本当は、脳梗塞の疑いがあるなら初日にすぐ救急車呼ばなきゃダメです。結果的に違う病気だったからよかったけど。)
【2. 決定的におかしい!】
A病院に行った2日後、おそろしいことが。
当時、健康のために会社まで1駅分歩いてたんですが、10分ほど歩いた時点でいきなり足元がぐにゃぐにゃになり、視界もぐらぐら揺れる感覚に。めまいというより揺れる船に突然乗せられたようなかんじで、立っていられなかったです。地震だ!と思って周囲を見たらみんな普通に歩いてたので驚いたのをおぼえてます。
5分ほどじっとしていたらおさまったのでとにかく会社へ。
今思えばまじめだなわたし。
仕事中は何事もなし。ただ、呂律の回りにくさはやや悪化していたようで、電話の相手から聞き返されたり、「なんか食べながら電話してるでしょー?(笑)」って言われました。社内のひとにしか電話しない仕事でよかった。
ためしに帰り道も歩いてみたけど、やっぱり朝と同じくめまいとふらつきがひどくて、普通に歩けば15分のところを、歩いては休憩の繰り返しで40分ほどかけて帰りました。この頃から、お風呂上りもふらふらするように。
翌日はさらに悪化し、3分も歩き続けられない状態。呂律も、電話じゃなく直接話している相手にも「飴とか食べながら話してる感じだね」と言われる程度にはおかしくなってました。
さすがに恐ろしくなって仕事帰りにB病院の神経内科へ。
手の動きに違和感があるし、眼振(眼球が左右にぶれる)もあるとのこと。うちでは詳しい検査ができないからと、最初に行ったA病院の神経内科あてに紹介状を書いてくれました。
翌日、早速A病院の神経内科へ。
尿検査、血液検査、二度目の脳のMRI、どれも異常なし。異変の原因はわからないけど一時的なものだろうから様子を見てくださいとのこと。「3分も歩き続けられない状態で呂律も日々悪化してるんですけど、ほっといて大丈夫でしょうか」と訴えてみたんですが、「大丈夫だと思いますよ」って半笑いでかるーく言われました。
先生に悪気はなかったと思いますが、この時はモヤッとしました。普通に言ってくれたら安心するし、納得もできたのにな。
そのまま年を越すのが不安で、年末ギリギリにC病院へ。受付で症状を説明すると脳神経外科へ回されました。
血液検査、MRI、首と腰のレントゲンは全て異常なし。「これ以上は神経内科で検査するしかないが、たぶん何もわからないと思う」とのこと。おそらく末梢神経の不具合だし、何なら飲んどく?みたいな感じでビタミンB12の錠剤を出してくれました。(効きませんでした)
これだけ診てもらって何もないんだから本当に一時的なものなんだろう。気にするのはやめてのんびりしてみよう!と思い、年末年始は実家でぐうたらすることに。
申し訳ないけど夫実家へは夫ひとりで帰ってもらいました。
実家でも状態は変わりませんでしたが、なんせ実家なので体調が悪いときに心置きなく寝たりできて楽でした。
次回へつづく
そもそもCIDPってなに?
慢性炎症性脱髄性多発神経炎
(Chronic Inflammatory Demyelinating Polyneuropathy:CIDP)
とはどんな病気か。
超ざっくり言いますよ?
- 体の中にある免疫細胞が、
- なぜか突然おかしくなって、
- 本来攻撃しちゃいけない正常な神経や細胞を攻撃してしまい、
- 手足の脱力とか感覚の喪失とか、いろんなとこに不具合が出る
的な。だいたいそんな感じの病気です。
主治医の最初の説明でそう聞きました。
すみませんが詳細は各自ググってください。大切なことですからね。
ここ↓がいいと思います。
難病情報センター | 慢性炎症性脱髄性多発神経炎/多巣性運動ニューロパチー(指定難病14
わたしの知る限り、原因不明で、遺伝はせず、寛解*はしても完治はしません。
(*寛解:ほぼ完治に近いけどまた悪くなる可能性がある状態)
患者数は人口10万人に1.61人、だいたい日本に2,000人ほどらしいです。でもこれ2008年発表の情報だから今はもっと増えてるのかな?
10万人に2人もいないようなレアな病気にかかるなんて、いま宝くじ買ったら当たるんじゃない?億万長者になったら何買おうかなー!!
……って言って入院中に買ってきてもらった宝くじが当選金300円で、理不尽な気持ちになったのをよくおぼえてます。
ただ座ってるだけでもしんどい上に、歩けなくなって移動は車椅子なのにメンタルは健康そのものなわたし。
後日また書きますが、当時は入院できたこと、そして治療方針があるってことだけで幸せ気分だったんです。でも先生や看護師さんたちには「大丈夫?無理してない?」とやたら心配されたものでした。
はじめましてのごあいさつ
はじめまして、うとうとです。
関西で夫とふたりぐらしをしています。
2014年にCIDPと診断され、4か月半の入院を経て現在は通院&リハビリ中です。
以前はフルタイムの派遣社員でしたが、 この病気で入院するにあたって泣く泣く辞め、今は専業主婦です。
よもや自分が厚生労働省の指定難病になり、障害者手帳まで交付され、杖を使って歩くことになろうとは。
とはいえ、難病患者のほとんどはある日突然ふってわいた災難のように聞いたこともないような病気にかかるんですよね。で、CIDPに限らずどの病気も患者数が少ないもんだから情報が手に入りにくい。
というわけでブログを始めました。
入院中につけてた日記を見ながら、当時の出来事とか思ったこととか、いろいろ思い出して書いていこうと思います。
同じような境遇のどなたかの参考や助けや、気晴らしになればなによりです。
よろしくお願いいたします。